春が來た。中國の大地には、季節(jié)の交代を告げる色様々な花が咲いているだろうと思う。日本は桜のシーズンだ。亜熱帯の沖縄では、1月から咲いているが、そろそろ九州や四國からも、桜の開花の便りが屆くころだ。日本は南北に細長い國だ。長い時間をかけて、南から北へ、順に桜の花が開いていく。
桜(主にソメイヨシノ)の開花日が等しい地點を結(jié)んだ線を、「桜前線」と呼んでいる。前線が東京を通過するのは3月末ごろ。東北地方の大部分は4月。5月になると、やっと北海道の各地に至る。
桜は日本人の生活の中にも深く根をおろしている。
中國と違い、日本の學(xué)校は4月に始まる。小學(xué)生になった子供と親たちが手をつないで入學(xué)式に出かけ、桜咲く校庭で記念寫真をとるのは、昔から変わらない日本の風(fēng)物詩だ。
「花見」も春の楽しみの一つだ。人々は桜で有名な行楽地へ出かける。東京の上野公園や新宿御苑、大阪の大阪城公園や「造幣局の桜の通り抜け」には多くの人たちが押し寄せる。
花見客たちは桜の下に座って酒を飲んだり、食事をしたりして春の一日を楽しむ。歌ったり、踴ったりする人もいる。會社などでは、職場の同僚たちが桜の下で宴會を開く。宴會の幹事はいい場所を確保しなければならず、夜の宴會のために、晝から「先鋒隊」を公園へ派遣することもある。
古都 ・京都は桜の名所が多い。秋の紅葉の美しさが名高い嵐山は、桜でも有名だ。ここには、桜のある景色を描寫した故周恩來首相の詩碑もある。日本に留學(xué)した周氏は1919年4月5日に嵐山を訪れた。ピンクの桜と、緑の松は霧雨の中にけぶっていた。しかし、しばらくすると、雲(yún)間から太陽の光が差し始めた。そんな光景と、自らの思いを込めながら、周氏は詩を詠んだ。碑に刻まれた詩は、この時のもので、60年後の1979年4月、トウ穎超夫人を迎えて詩碑の除幕式が行われた。
周氏が嵐山を訪ねた1カ月後、中國では五四運動がまき起こる。周氏は帰國して運動に加わった。嵐山の詩は革命家の若い日の記録として殘っている。
1972年9月、周氏は首相として、日中國交正?;谓粶hに臨み、北京を訪れた田中角栄首相ら代表団を、歓迎夕食會を開いてもてなした。人民大會堂の華やかな會場では、解放軍が奏でる日本と中國の歌の數(shù)々が流れた。最初の日本の歌は「さくらさくら」だった。周首相は、嵐山の桜を思い出しただろうか。
中國にも、たくさんの桜があるようだ。
私が仕事で、北京に駐在していた時、家族で、玉淵潭公園へ、花見に出かけた。訪れた時期が少し早かったためか、桜の花は少なかったが、公園は大勢の人たちでにぎわっていた。人民日報海外版は、玉淵潭公園には7種類、約3000本の桜があると紹介している。一斉に、満開になると、さぞかし美しいだろう、と想像している。
中國の人たちがたいへん親しんでいる春の花は何だろうか。やはり牡丹だろうか。私が中國の牡丹を初めてじっくり見たのは、山東省済南市の公園を訪ねた時だった。ずいぶん大きな花だなと思った。梅の花もまた中國の人たちに愛されているように思う。
桃園も、菜の花畑も美しい季節(jié)だ。うららかな一日、中國の春の花を見ながら、散歩してみたい。
五十川 倫義 (朝日新聞)
櫻花 五十川 倫義
春天來了。中國大地當(dāng)是百花斗艷,正在宣告季節(jié)的交替吧。日本正值櫻花時節(jié)。位于亞熱帶的沖繩,一月份花就開了,接下來,從九州、四國,很快就會傳來櫻花開放的消息。日本地形南北狹長,櫻花從南到北依次開放,能開很長時間。
把櫻花(主要是“染井吉野”櫻花)同時開放的地點連接起來,這條線叫“櫻花前線”。前線通過東京大概是在3月末,東北大部分地區(qū)是4月份,到了5月份,才能到達北海道各地。
櫻花的根,也深深地扎在日本人的生活中。
和中國不同,日本的學(xué)校是4月份開學(xué)。剛剛成為小學(xué)生的孩子們拉著爸爸***手參加入學(xué)典禮,在櫻花盛開的校園里照相留念,這是一首經(jīng)久未變的日本風(fēng)情詩。
“賞花”也是春天的樂趣之一。人們?nèi)ビ忻臋鸦▌俚刭p櫻。東京的上野公園、新宿御苑,大阪的大阪城公園和“造幣局櫻花通道”,總有很多人紛至沓來。
賞花的人們在櫻花樹下飲酒、吃飯,享受一日春光。也有人唱歌跳舞。公司的同事們在櫻花樹下舉行宴會。為了晚上的宴會,組織者們有時白天就要派“先遣隊”去公園,以確保能占一個好地方。
古都京都有很多櫻花名勝地。以秋天紅葉之美而聞名的嵐山,櫻花同樣負有盛名。這里有周恩來總理描寫櫻花景色的詩碑。1919年4月5日,當(dāng)時在日本留學(xué)的周恩來來到嵐山,看見粉紅色的櫻花和綠色的松樹在雨霧中若隱若現(xiàn),不久,陽光從云間照射下來。面對此景,周恩來賦詩抒懷,碑上刻的就是這一首。60年后的1979年4月,鄧穎超夫人訪日時,舉行了詩碑的揭幕典禮。
周恩來游嵐山一個月后,中國掀起了五四運動。周恩來回國參加了運動。嵐山之詩,記錄了革命家的年輕歲月。
1972年9月,周恩來作為總理舉行歡迎宴會,招待來北京進行中日邦交正?;瘯劦奶镏薪菢s首相率領(lǐng)的代表團。在人民大會堂金碧輝煌的宴會廳,人民解放軍奏起了日本和中國的樂曲。第一首就是日本的“櫻花”。不知那個時侯,周總理是不是想起了嵐山的櫻花。
中國好象也有很多櫻花。
我因工作常駐北京時,曾全家去玉淵潭公園賞花。可能是去得稍早了一點,櫻花還很少,可是公園里人很多,熙熙攘攘,十分熱鬧。人民日報海外版介紹說,玉淵潭公園的櫻花有7種,約3000株。可以想象,這些櫻花一齊盛開的時候,一定是非常美的。
中國人最喜歡春天的什么花呢?大概還是牡丹吧。我第一次仔細觀賞中國的牡丹,是在山東省濟南市的公園里。當(dāng)時覺得牡丹花可真大。印象中,梅花也很受中國人的喜愛。
春天來了,這是一個桃花、菜花也非常美麗的季節(jié)。真想在明媚的日子里,一邊散步,一邊欣賞中國春天的花。
桜(主にソメイヨシノ)の開花日が等しい地點を結(jié)んだ線を、「桜前線」と呼んでいる。前線が東京を通過するのは3月末ごろ。東北地方の大部分は4月。5月になると、やっと北海道の各地に至る。
桜は日本人の生活の中にも深く根をおろしている。
中國と違い、日本の學(xué)校は4月に始まる。小學(xué)生になった子供と親たちが手をつないで入學(xué)式に出かけ、桜咲く校庭で記念寫真をとるのは、昔から変わらない日本の風(fēng)物詩だ。
「花見」も春の楽しみの一つだ。人々は桜で有名な行楽地へ出かける。東京の上野公園や新宿御苑、大阪の大阪城公園や「造幣局の桜の通り抜け」には多くの人たちが押し寄せる。
花見客たちは桜の下に座って酒を飲んだり、食事をしたりして春の一日を楽しむ。歌ったり、踴ったりする人もいる。會社などでは、職場の同僚たちが桜の下で宴會を開く。宴會の幹事はいい場所を確保しなければならず、夜の宴會のために、晝から「先鋒隊」を公園へ派遣することもある。
古都 ・京都は桜の名所が多い。秋の紅葉の美しさが名高い嵐山は、桜でも有名だ。ここには、桜のある景色を描寫した故周恩來首相の詩碑もある。日本に留學(xué)した周氏は1919年4月5日に嵐山を訪れた。ピンクの桜と、緑の松は霧雨の中にけぶっていた。しかし、しばらくすると、雲(yún)間から太陽の光が差し始めた。そんな光景と、自らの思いを込めながら、周氏は詩を詠んだ。碑に刻まれた詩は、この時のもので、60年後の1979年4月、トウ穎超夫人を迎えて詩碑の除幕式が行われた。
周氏が嵐山を訪ねた1カ月後、中國では五四運動がまき起こる。周氏は帰國して運動に加わった。嵐山の詩は革命家の若い日の記録として殘っている。
1972年9月、周氏は首相として、日中國交正?;谓粶hに臨み、北京を訪れた田中角栄首相ら代表団を、歓迎夕食會を開いてもてなした。人民大會堂の華やかな會場では、解放軍が奏でる日本と中國の歌の數(shù)々が流れた。最初の日本の歌は「さくらさくら」だった。周首相は、嵐山の桜を思い出しただろうか。
中國にも、たくさんの桜があるようだ。
私が仕事で、北京に駐在していた時、家族で、玉淵潭公園へ、花見に出かけた。訪れた時期が少し早かったためか、桜の花は少なかったが、公園は大勢の人たちでにぎわっていた。人民日報海外版は、玉淵潭公園には7種類、約3000本の桜があると紹介している。一斉に、満開になると、さぞかし美しいだろう、と想像している。
中國の人たちがたいへん親しんでいる春の花は何だろうか。やはり牡丹だろうか。私が中國の牡丹を初めてじっくり見たのは、山東省済南市の公園を訪ねた時だった。ずいぶん大きな花だなと思った。梅の花もまた中國の人たちに愛されているように思う。
桃園も、菜の花畑も美しい季節(jié)だ。うららかな一日、中國の春の花を見ながら、散歩してみたい。
五十川 倫義 (朝日新聞)
櫻花 五十川 倫義
春天來了。中國大地當(dāng)是百花斗艷,正在宣告季節(jié)的交替吧。日本正值櫻花時節(jié)。位于亞熱帶的沖繩,一月份花就開了,接下來,從九州、四國,很快就會傳來櫻花開放的消息。日本地形南北狹長,櫻花從南到北依次開放,能開很長時間。
把櫻花(主要是“染井吉野”櫻花)同時開放的地點連接起來,這條線叫“櫻花前線”。前線通過東京大概是在3月末,東北大部分地區(qū)是4月份,到了5月份,才能到達北海道各地。
櫻花的根,也深深地扎在日本人的生活中。
和中國不同,日本的學(xué)校是4月份開學(xué)。剛剛成為小學(xué)生的孩子們拉著爸爸***手參加入學(xué)典禮,在櫻花盛開的校園里照相留念,這是一首經(jīng)久未變的日本風(fēng)情詩。
“賞花”也是春天的樂趣之一。人們?nèi)ビ忻臋鸦▌俚刭p櫻。東京的上野公園、新宿御苑,大阪的大阪城公園和“造幣局櫻花通道”,總有很多人紛至沓來。
賞花的人們在櫻花樹下飲酒、吃飯,享受一日春光。也有人唱歌跳舞。公司的同事們在櫻花樹下舉行宴會。為了晚上的宴會,組織者們有時白天就要派“先遣隊”去公園,以確保能占一個好地方。
古都京都有很多櫻花名勝地。以秋天紅葉之美而聞名的嵐山,櫻花同樣負有盛名。這里有周恩來總理描寫櫻花景色的詩碑。1919年4月5日,當(dāng)時在日本留學(xué)的周恩來來到嵐山,看見粉紅色的櫻花和綠色的松樹在雨霧中若隱若現(xiàn),不久,陽光從云間照射下來。面對此景,周恩來賦詩抒懷,碑上刻的就是這一首。60年后的1979年4月,鄧穎超夫人訪日時,舉行了詩碑的揭幕典禮。
周恩來游嵐山一個月后,中國掀起了五四運動。周恩來回國參加了運動。嵐山之詩,記錄了革命家的年輕歲月。
1972年9月,周恩來作為總理舉行歡迎宴會,招待來北京進行中日邦交正?;瘯劦奶镏薪菢s首相率領(lǐng)的代表團。在人民大會堂金碧輝煌的宴會廳,人民解放軍奏起了日本和中國的樂曲。第一首就是日本的“櫻花”。不知那個時侯,周總理是不是想起了嵐山的櫻花。
中國好象也有很多櫻花。
我因工作常駐北京時,曾全家去玉淵潭公園賞花。可能是去得稍早了一點,櫻花還很少,可是公園里人很多,熙熙攘攘,十分熱鬧。人民日報海外版介紹說,玉淵潭公園的櫻花有7種,約3000株。可以想象,這些櫻花一齊盛開的時候,一定是非常美的。
中國人最喜歡春天的什么花呢?大概還是牡丹吧。我第一次仔細觀賞中國的牡丹,是在山東省濟南市的公園里。當(dāng)時覺得牡丹花可真大。印象中,梅花也很受中國人的喜愛。
春天來了,這是一個桃花、菜花也非常美麗的季節(jié)。真想在明媚的日子里,一邊散步,一邊欣賞中國春天的花。