私のことなんも知らない人なら信じてくれると思うが、私は掃除が大好きだ。掃除のあとのすがすがしさは、他の何物にも代えがたいと思う。
私が何よりも好きなのは、外から帰ってきて、亂雑で汚かった部屋が、誰(shuí)かの手によってきれいに片付けられていることを発見することだ。殘念ながら、そういう嬉しい発見をしたことがない。
掃除のすばらしさを、特に私の周りの人間に知ってほしいと思い、掃除を好きになるよう、妻や助手に説得しているが、まったく理解する気配がない。理解力がないか、すがすがしさが嫌いかであろう。
確かに、現(xiàn)在、掃除の楽しさを理解するのは困難かもしれない。しかし遠(yuǎn)い未來、文明が発達(dá)すれば、ボタンを押すだけで、妻や助手が掃除をするようになるかもしれない。そこまでは無理だとしても、おいしいものを食べるだけで、自動(dòng)的に掃除できるようになれば、誰(shuí)もが掃除が好きになるだろう。
自分が掃除するのも好きだ。春休みに大學(xué)の私の研究室を掃除した。僅か五年の間にたまるゴミの量は驚くほどだ。
主なゴミは、種類、古雑誌、空き缶、ネジ、數(shù)年前のスポーツ新聞、數(shù)ヶ月前の枝豆の皮などだ。それらを除くと、後はロッカーとわれた機(jī)と十年以上の枝豆の皮だけだ。その他、チリ、ホコリ、ススのどれなのか、本體のあいまいな物が細(xì)かいところに入り込んでいる。本棚などを拭いて雑巾を洗うとバケツの水が見える黒くなる。何度も雑巾を洗っているうちに手が荒れてくる。私の身體はこういう仕事に向いていないのだ。いくら好きでも身體が向いていないことはよくあることだ。オリンピックで優(yōu)勝するのが好きでも身體が向いていない。二枚目を演じるのが好きでも身體が向いていないなど。
掃除は基本的に移動(dòng)である。ゴミも、最初かどこか、あるべき場(chǎng)所に収まっていたものが、あるべきでない場(chǎng)所に移動(dòng)してきたものである。それをゴミ箱の中に移動(dòng)する作業(yè)が掃除だ。
だが、物を散らかすというのも移動(dòng)であり、この點(diǎn)では掃除と同じだ。そのため、亂雑さが一定限度を超えると、掃除の初期段階では、掃除によって片付いているというより、余計(jì)亂雑になっているように見える。その段階が五年間ほど続くと、永久に悪化の一途をたどるような気がしてくる。自分の人生のような暗澹たる前途を前にして、鼻歌もできなくなる。徒労感にとらわれて、今火事になって全部燃えてしまったらすっきりするだろうな、とまで考える。
どんなに好きなことでも疲れるものだ。徹夜でマージャンしても疲れることを思い出す。休憩なしで一生懸命にやりすぎたから、こんなに疲れただ、と反省し、休憩をはさむことにする。だが、一度休憩を入れてみると、掃除を再開するのが困難になっていることが判明した。休み方が足りないのかと思って休憩しつづけてみたが、再開が余計(jì)困難になっただけど。明日からゆっくりやろうと考え直し、その日は帰宅する。
翌日、最初から休みを入れるようにしてみた。それで見違えるほど楽になった。五分間掃除した、次の五分間の掃除が始まるまでの三時(shí)間の晝寢が心地がよい。やはり掃除は楽しい。だが、休み癖がついたのか、五分も掃除すると休憩したくなり、結(jié)局、その日は午後をまるまる費(fèi)やして、機(jī)の上の書類を紙袋の中に移しただけで終わった。
翌日は、五分間掃除した後、一日休憩した。その次の日から、研究室に入るのを避ける日が二日続き、私は考えた。いくら掃除が好きといっても、すがすがしさに拘りすぎではないか。亂雑さを拒否するのではなく、亂雑な狀態(tài)に心を開くようにすべきではないか。そして、自分で掃除するよりも、他人に掃除の喜びを説こう。
この発想の転換で人間的に成長(zhǎng)したと思う。掃除をした結(jié)果、前よりも部屋が亂雑になり、どこに何があるかも分からなくなったし、他人に掃除の喜びを教えることに成功しそうもないが、研究室で一生暮らしてもいいと思えるようになった。
それから一年経つ、明日は、新入生の研究室訪問の行事がある。新入生が人間的成長(zhǎng)していることを祈った。
私が何よりも好きなのは、外から帰ってきて、亂雑で汚かった部屋が、誰(shuí)かの手によってきれいに片付けられていることを発見することだ。殘念ながら、そういう嬉しい発見をしたことがない。
掃除のすばらしさを、特に私の周りの人間に知ってほしいと思い、掃除を好きになるよう、妻や助手に説得しているが、まったく理解する気配がない。理解力がないか、すがすがしさが嫌いかであろう。
確かに、現(xiàn)在、掃除の楽しさを理解するのは困難かもしれない。しかし遠(yuǎn)い未來、文明が発達(dá)すれば、ボタンを押すだけで、妻や助手が掃除をするようになるかもしれない。そこまでは無理だとしても、おいしいものを食べるだけで、自動(dòng)的に掃除できるようになれば、誰(shuí)もが掃除が好きになるだろう。
自分が掃除するのも好きだ。春休みに大學(xué)の私の研究室を掃除した。僅か五年の間にたまるゴミの量は驚くほどだ。
主なゴミは、種類、古雑誌、空き缶、ネジ、數(shù)年前のスポーツ新聞、數(shù)ヶ月前の枝豆の皮などだ。それらを除くと、後はロッカーとわれた機(jī)と十年以上の枝豆の皮だけだ。その他、チリ、ホコリ、ススのどれなのか、本體のあいまいな物が細(xì)かいところに入り込んでいる。本棚などを拭いて雑巾を洗うとバケツの水が見える黒くなる。何度も雑巾を洗っているうちに手が荒れてくる。私の身體はこういう仕事に向いていないのだ。いくら好きでも身體が向いていないことはよくあることだ。オリンピックで優(yōu)勝するのが好きでも身體が向いていない。二枚目を演じるのが好きでも身體が向いていないなど。
掃除は基本的に移動(dòng)である。ゴミも、最初かどこか、あるべき場(chǎng)所に収まっていたものが、あるべきでない場(chǎng)所に移動(dòng)してきたものである。それをゴミ箱の中に移動(dòng)する作業(yè)が掃除だ。
だが、物を散らかすというのも移動(dòng)であり、この點(diǎn)では掃除と同じだ。そのため、亂雑さが一定限度を超えると、掃除の初期段階では、掃除によって片付いているというより、余計(jì)亂雑になっているように見える。その段階が五年間ほど続くと、永久に悪化の一途をたどるような気がしてくる。自分の人生のような暗澹たる前途を前にして、鼻歌もできなくなる。徒労感にとらわれて、今火事になって全部燃えてしまったらすっきりするだろうな、とまで考える。
どんなに好きなことでも疲れるものだ。徹夜でマージャンしても疲れることを思い出す。休憩なしで一生懸命にやりすぎたから、こんなに疲れただ、と反省し、休憩をはさむことにする。だが、一度休憩を入れてみると、掃除を再開するのが困難になっていることが判明した。休み方が足りないのかと思って休憩しつづけてみたが、再開が余計(jì)困難になっただけど。明日からゆっくりやろうと考え直し、その日は帰宅する。
翌日、最初から休みを入れるようにしてみた。それで見違えるほど楽になった。五分間掃除した、次の五分間の掃除が始まるまでの三時(shí)間の晝寢が心地がよい。やはり掃除は楽しい。だが、休み癖がついたのか、五分も掃除すると休憩したくなり、結(jié)局、その日は午後をまるまる費(fèi)やして、機(jī)の上の書類を紙袋の中に移しただけで終わった。
翌日は、五分間掃除した後、一日休憩した。その次の日から、研究室に入るのを避ける日が二日続き、私は考えた。いくら掃除が好きといっても、すがすがしさに拘りすぎではないか。亂雑さを拒否するのではなく、亂雑な狀態(tài)に心を開くようにすべきではないか。そして、自分で掃除するよりも、他人に掃除の喜びを説こう。
この発想の転換で人間的に成長(zhǎng)したと思う。掃除をした結(jié)果、前よりも部屋が亂雑になり、どこに何があるかも分からなくなったし、他人に掃除の喜びを教えることに成功しそうもないが、研究室で一生暮らしてもいいと思えるようになった。
それから一年経つ、明日は、新入生の研究室訪問の行事がある。新入生が人間的成長(zhǎng)していることを祈った。